西方浄土変とは、阿弥陀浄土の場景を造形化したものであり、「阿弥陀浄土図」や「阿弥陀浄土変相」などとも呼ばれる。中国の南北朝時代から隋時代にかけて、少数の作例が現存するが、それら早期の作例は概して単純な構図からなるのに対し、唐代に入ると敦煌莫高窟の作例にみるように、俄かに制作数が増加するだけでなく絵画的にも大きく発展し、前代までのものとは大きく異なる、大画面で複雑な内容をもつものへと変化する。
この唐代西方浄土変に関する研究は、ながらく善導(613-381)にのみ関心が集中してきた。さらには、西方浄土変に、『観無量寿経』にもとづく説明的図相を描いた外縁が付属するようになることをも、善導による影響と解釈する見解が提示されている。
しかしながら、貞観十六年(642=善導30歳)ごろの敦煌莫高窟第220窟の現存作例からみて、善導以前にすでに唐代西方浄土変が存在していたことは明らかであり、唐代西方浄土変の図相が善導の著作をもとに描かれたとする解釈は成り立たない。
そこで、本報告では道綽(562-645)に注目し、唐代に大画面で詳細な内容をもった西方浄土変が出現する背景に、道綽その人の影響があったことを指摘する。