西方浄土変とは、阿弥陀の西方極楽浄土の荘厳相を造形化したものであり、唐代に入ると作例数が急激に増加するだけでなく、絵画的にも飛躍的に発展し、大画面で複雑な内容をもつものへと大きく変化する。
 この唐代西方浄土変について、松本榮一氏の研究以来、長らく「阿弥陀浄土変相(阿弥陀経変)」と「観経変相(観無量寿経変・観経変)」とに二分する解釈がなされてきた。これは極楽浄土の荘厳相をあらわした浄土変というものは、『阿弥陀経』と『無量寿経』にもとづく「阿弥陀浄土変相」であり、それに『観経』の内容が付加されたものが「観経変相」であって、『観経』とは本来無関係だとする見方が前提となっている。しかしながら、現存作例を丹念に見てゆくと、実際には『観経』こそが浄土変の最重要典拠であったことが判明する。
 また、従来の研究では、唐代西方浄土変の影響を与えた人物として善導(613-681)のみが想定され、善導の著作によって唐代西方浄土変が作られているといった見方が提示されてきた。しかしながら、現存作例の制作年代と照らし合わせると、善導の影響を想定することは時代的に無理がある。むしろ注目されるのは、これまでの西方浄土変研究では全く看過されてきた道綽(562-645)の存在である。道綽は称名念仏のみならず、『観経』にもとづき観想念仏を実践・指導していたのであり、しかも有相に頼った観想を積極的に評価し、それによっても極楽浄土への往生がかなうと説いていた。したがって、『観経』十六観の図像を盛り込んだ唐代西方浄土変は、観想念仏の視覚教材としての意義をも備え得たものとして、道綽の教化活動のなかで生み出され広まったと考えられる。