弥勒に関する経典は、魏晋南北朝時代に漢訳が始まり、いわゆる上生経と下生経とに大別される。ただし上生経は、弥勒の弟子となろうとする者に対し、まず兜率天に生まれて弥勒に値遇することを説くものであるが、そのうえで弥勒に従い閻浮提に下生することを勧めており、下生信仰をも内包している。また、上生経には「弥勒下生経に説くが如し」との経文があるように、その成立は明らかに下生経よりも下る。
一方、弥勒の浄土世界を描いた敦煌の弥勒変相図についていえば、上生経にもとづく「弥勒上生経変」が隋代に先ず出現し、下生経の内容を盛んに描くようになるのは唐代以降である。
さて、従来の研究では、上生変か下生経変か、あるいはその結合したものであるのかというところに関心が集中し、それ以上の議論はなされてこなかった。ところが、図様をみると唐代の弥勒変相図は、武周期に図様が一変しており、その後さらに細部においても変化が生じている。
そこで小論では、武周期以前の作例を第一期、武周期に出現する新しいタイプの作例を第二期、第二期の作例の図様を引き継ぎつつも部分的に変更を加えた第三期に分けて、その変遷を明らかにし、その変化の背景についても考察を加える。