筆者は『仙台における魯迅の記錄』の中の「周樹人」を読む中で、東京と仙台の間、つまり弘文学院と仙台医学専門学校の間、言い換えれば周樹人が日本に留学した第一段階と第二段階の間に、実は魯迅伝記的な空白が存在することに偶然気づいた。それは、魯迅が自ら語る医学を学ぶ動機の生成メカニズムについて、効果的な説明が欠如しているという点である。仙台が「医を棄てる」ことで終わるならば、東京は「医を選ぶ」ことの始まりである。しかし、研究は「なぜ棄てたか」にばかり注目し、「なぜ選んだか」には関心を払わない。この研究上の欠落が、伝記上の空白を生んでいる。「救治」「維新への信仰」「軍医になること」の三者が「医学」という夢を構築し、しかも「私の夢はとても美しかった」とするならば、これらの夢を構成する材料はどのようにして得られたのか。あるいは、当時留学生の間でほとんど注目されなかった「医学」に彼を近づけたのは誰なのか。これが筆者の見出した魯迅伝記上の空白であり、本論では新たに発見された史実をもってその空白を埋め、東京と仙台の間を伝記上で有機的につなげることを試みる。ここでは、当時の東京の留学生社会、訪日教育視察を行った呉汝綸、日本の教育界と医学界、「同仁会」、「明治軍医ウィリス」、「江口教師」などが登場する。これまでほとんど知られていなかったこれらの歴史的細部が、実は大きな合力となって現場にいた周樹人を孤独な医学への道へと押しやり、「仙台医学校」に後に「医を棄てる」話題を構成する「一人」を生み出したのである。
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