周樹人(後の魯迅)が、1902年から1909年にかけての日本留学期を通じて、伝統的な紹興の青年から中国新文学の奠基者「魯迅」へと変容した過程を明らかにする。
留学期は、弘文学院での日本語学習、仙台医学専門学校での医学修業、東京での独逸語学習と文芸活動の三段階に分けられる。この時期に執筆・翻訳した『斯巴達之魂』『人間之歷史』『摩羅詩力説』『文化偏至論』『域外小説集』などの諸作品は、明治日本の文献・思想環境に深く埋め込まれており、単なる知識の吸収ではなく、思想形成の基盤となった。
特に、進化論(丘浅次郎ら)、国民性改造思想(渋江保訳『支那人気質』、芳賀矢一『国民性十論』)、個人主義(ニーチェ、シュティルナー、イプセンなど明治期日本語文献経由)、および摩羅詩人論を通じて、周樹人は「立人」(個人の確立)を核心とする独自の精神構造を構築した。また、明治時代の「狂人」イメージや「食人」言説、ロシア文学などの影響は、1918年の『狂人日記』における「吃人」モチーフや「救救孩子……」の叫びとして結実する。
本研究は、従来の魯迅研究とは異なり、留学期の周樹人を「魯迅」成立以前の客観的対象として扱い、日本文献との密接な関係を実証的に解明した。これにより、「魯迅」の精神内核が、すでに日本留学の七年余りの間に形成されていたことを明らかにする。魯迅の誕生は、突如として現れたものではなく、東アジア近代の知識連鎖の中で育まれた必然的な帰結であった。