本論文は、周樹人(後の魯迅)の留学時代における「個人」概念の文脈で、マックス・シュティルナー(Max Stirner)の思想的影響を検証する。特に、明治期の雑誌『日本人』に「蚊学士」として寄稿した煙山専太郎(1877-1954)がシュティルナーの思想を紹介した経緯を詳述し、その影響が周樹人の『文化偏至論』に及んだ可能性を考察する。筆者は「蚊学士」の正体を煙山専太郎であると特定し、彼の著書『近世無政府主義』(1902年)が中国の無政府主義思想に与えた影響を分析する。また、明治期の言論におけるシュティルナーとニーチェの関連性や、周樹人がこれを独自に解釈して「立人」の精神を構築した過程を明らかにする。結果として、煙山の学術的独立性と周樹人の主体性が、両者の思想的交錯の中で重要な役割を果たしたと結論づける。
キーワード 周樹人 シュティルナー 煙山専太郎 無政府主義 文化偏至論