「建永の法難」事件再考―訴訟過程の検討を中心として―
坪井 剛
法然が国家的処罰として流罪となったいわゆる「建永の法難」事件について、基本史料となる「興福寺奏状」が、本来朝廷に提出されるべき奏状と、その奏状を訴訟ルートに載せるための摂関家への申状とに分かれることを指摘した。その上で、一連の訴訟過程を検討した結果、訴訟対応者の変化により朝廷の方針が変化しているとが確認されたことから、当時の朝廷に一貫した専修念仏対策を想定するととはできないことを示した。
古代文化
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