「真理」の時代―二葉亭・逍遥・嵯峨の屋など
二葉亭がべリンスキーの「イデー」を「真理」と訳したのは、「イデー」のもつ宗教的な意味を嫌い、科学的合理主義を重視したからだというのが定説であるが、当時の「真理」という語は、科学的真理という意味を超えて、宗教的な意味でも使われており、当時、「真理」という語が現在と違った意味合いを揺曳させながら流通していたことを指摘した。
佛教大学国語国文学会『京都語文』
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