周树人(鲁迅)在1902 年至1909 年留学日本期间,有两位重要的日本老师:弘文学院学习日语时的老师松本龟次郎和仙台医学专门学校解剖学教授藤野严九郎。松本龟次郎在1939 年的文章中提到周树人就学期间曾询问“ 流石(さすが)” 一词的中文翻译问题,这反映了周树人在跨文化跨语际学习中遭遇的困难。通过对留学生周树人当时阅读、翻译和创作文本的考察,解析并厘定周树人对该词语的学习和消化过程,包括无数“ 流石” 问题在内的日语学习之于日后文学家鲁迅的意义清晰显现。藤野严九郎、松本龟次郎均促成留学生周树人乃至文学家鲁迅在语言上的高度自觉和自律。
关键词 周树人;流石;松本龟次郎;藤野严九郎;鲁迅
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周樹人(魯迅)が1902年から1909年にかけて日本に留学した期間に、重要な二人の日本教師がいた。弘文学院で日本語を学んだ際の教師松本亀次郎と、仙台医学専門学校で解剖学を教えた藤野厳九郎である。松本亀次郎は1939年の文章で、周樹人が学業中に「流石(さすが)」という言葉の中国語訳について質問したことを記しており、これは周樹人が異文化・異言語学習の中で直面した困難を反映している。留学生周樹人が当時読んだ、翻訳し、創作したテキストを調査し、彼がこの語を学び、消化する過程を解析・整理することで、「流石」をはじめとする無数の日本語学習が後の文学者魯迅に与えた意義が明らかになる。藤野厳九郎と松本亀次郎は、留学生周樹人、そして後に文学者魯迅となる人物の言語に対する高度な自覚と自律を促した。
キーワード 周樹人 流石 松本亀次郎 藤野厳九郎 魯迅